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珍説・金田一耕助:『病院坂の首縊りの家』はなぜ最後の事件となり得たか
 
※ 以下に書き連ねる物語は、あくまで妄想の産物です。眉にツバをつけながらお読み下さい。

 『病院坂の首縊りの家』は金田一耕助最後の事件として有名ですが、彼はなぜ、この事件の解決後に失踪したのだろう、というのが今回のテーマです。

 『病院坂の首縊りの家』は、二十年の歳月を隔てて繰り返される殺人事件と、スケールも壮大なのですが、金田一耕助ともあろうものが姿を消すほどの事件だったのかという疑問は、発表直後から言われてきました。

 たとえば石上三登志氏は、「金田一耕助本当に最後の事件」(「奇想天外」1978年11月号)というパロディとも小説ともつかぬ文章の中で、もっと金田一にふさわしい最後を飾らせるべきだと主張しました。
 また小沢正氏は「金田一耕助の失踪」(「名探偵読本8・金田一耕助」パシフィカ刊)という研究の体裁をとった文章で、事件簿に書かれなかった金田一と「病院坂」事件との、もうひとつの関わりを導き出し、金田一が日本から脱出せざるを得なかった本当の理由を披露しています。名探偵が失踪するには、陰惨な事件以外にも原因の補強が必要だったわけです。

 『病院坂の首縊りの家』は、なぜ金田一耕助最後の事件となり得たのでしょうか?

 そこには、ある恐ろしい事実が隠されていたのです。
 いえ、それは最初から隠されてなどいませんでした。読者の前に、堂々とさらけ出されていたにも関わらず、誰ひとりとしてそれを認めようとはしなかっただけなのです。

 金田一耕助は、この事件で命を落としたのです。
 かれは右ポケットからピストルを取り出すと、金田一耕助をめがけて三発、四発。
 金田一耕助がバッタリ倒れて、かれの手から二百枚の一万円紙幣がパッと靄の中に散乱した。
「金田一先生、それじゃあなたは……それじゃあなたは……こ、こ、こんな無茶な……こんな無茶な……」
「大丈夫ですよ、警部さん、ぼくだって防弾チョッキくらいは用意してますよ」
(角川文庫『病院坂の首縊りの家』下巻 P.333〜334より抜粋)
 ちょっと待った! そんな筈はありません。だって、この事件の犯人は、今まで一度もピストルなんか使わなかったじゃないですか。それなのにどうして今回に限って防弾チョッキが必要だと、金田一にわかったのでしょう。

 防弾チョッキとは、その名のとおり銃弾を防ぐために存在しているもので、ナイフなど刃物の攻撃に対しては、まったく役に立ちません。
 (近年の防弾チョッキは、材質も改良を重ねてナイフ程度の攻撃は防ぐそうですが、事件当時の防弾チョッキは、その限りではありません)
 同じ用心をするなら、ものかげに応援をひそませて、いつでも犯人を取り押さえられるようにするのが先決の筈。防弾チョッキを着る必要性は、この時どこにもなかったのです。

 それに、金田一耕助は一体どこから防弾チョッキを調達したのでしょう?
 いかな名探偵といえど、こんな物騒なものを常日頃から所持していたとは考えられません。
 警察内の知り合い(それも等々力元警部にも内緒で)か、裏街道に顔のきく多門修がらみで入手したとしか考えられませんが、防弾チョッキの使い道はたった一つ、銃撃を防ぐためです。
 提供した相手は、金田一の身を案じなかったのでしょうか? 彼の意図を見抜き、止めようとはしなかったのでしょうか?
 どちらも、とても考えられることではありません。

 つまり、犯人に撃たれたとき、金田一は防弾チョッキなど着ていなかった、というのがもっとも妥当な結論なのです。名探偵金田一耕助氏は、この時死亡したのです。

 死んだ金田一耕助に、防弾チョッキを着せたのは、作者の筆先です。
 小説中の登場人物である金田一耕助には、物語に幕を引くという大役が、まだ残っていたからです。

 このことは、最終章「拾遺」を読めば、誰でも気がつくことなのです。
 その金額をきいて私もびっくり仰天せざるをえなかった。それは子供のないこの老夫婦が、つつましく暮らしていけば、余生を楽に過ごしていけるくらいの金額であった。
(同 P.380)

「先生は全財産をあちこちの施設に寄付していったらしい形跡があるんです」
(同 P.381)

金田一耕助氏は消えてしまったとしか、いまのところいいようがない。
(同 P.382)
 財産を施設に寄付した形跡とは、どういうものなのでしょう? これから行方をくらますつもりの人間が、いちいち名を名乗って寄付して回ったとでもいうのでしょうか? そんな情報まで手に入るのに、なぜ風間建設は金田一耕助の行方を突き止められなかったのでしょう。

 答えは簡単です。緑ヶ丘マンション管理人の山崎夫妻や、各施設に対する財産分与は、すべて金田一耕助が遺した遺言状の執行だったからです。
 作者自ら、最後にこう書いているではありませんか。
私はこれを金田一耕助氏の遺言だと信じている。遺言は守らなければならない。
(同 P.383)
 たとえ失踪したとはいえ、生きているであろう人間の言葉を「遺言」とは普通は言いません。この文章は、作者が金田一の死を暗示、いや、公表しているとしか解釈できません。
 その証拠に、本章では失踪という言葉のかげに、執拗に「死」のイメージがつきまといます。自殺、二度とかえらない、世をはかなんだ、蒸発……。

 カイザーのものはカイザーへ返せといいますが、大地に縁の深い名を持つ名探偵、金田一耕助氏は、最後の事件で大役を果たし終え、誰も邪魔することのない母なる大地に還ったのです。
 

(C) 1998-2005 NISHIGUCHI AKIHIRO